世界遺産マチュピチュとナスカの地上絵をめぐる旅行!ペルーの魅力を満喫する旅へ
今回の世界探訪は古代のロマンたっぷりのペルーです。世界遺産「空中都市マチュピチュ」みなさんも⼀度はテレビや雑誌などで⾒たり聞いたことがあると思います。100年ほど前に発⾒された遺跡なんですが、標高2400メートルという高所に作られた古代遺跡。断崖絶壁に囲まれたこの地になぜこんな遺跡が誕生したのか…。
また、ペルーといえば誰が何のために描いたのかわからないとされる「ナスカの地上絵」は年々⾵化して消えゆく遺跡と⾔われています。古代のロマンに胸躍るマチュピチュ&ナスカ地上絵ツアーに、しばしお付き合いください。
勝⼿ながらのシンパシー
今長谷
南⽶に位置するペルー。私がこの地に訪れたのは、かれこれ12回ほど。我々アジア系の先祖がベーリング海を越え、北米大陸を南下し、ついに辿り着いた南米の地に住みついたと言われますので、勝⼿ながら私はシンパシーを感じています。
そんな昔の話だけではなく、太平洋戦争後には⽇本の⼊植者もいました。⽇系2世、3世が今も住んでいる国です。
知っている⼈は少ないかもしれませんが、実はマチュピチュ村の初代村⻑が⽇本⼈だったという、⽇本と関係が深い遺跡です。
ペルーを旅するなら外せない時期と⾒所
12⽉から3⽉は⾬季にあたり、その時期にマチュピチュを観光することはオススメしません。その時期のツアー・旅行は避けましょう。
せっかくのマチュピチュが、雲や霧に隠れて⾒えない可能性が⾼いからです。
地球の裏側に⾏ったのに、お⽬当ての遺跡が⾒られないなんて「残念」の⼀⾔では済まされません。
ただし、⾬季の時期を外したからと⾔って必ずマチュピチュの姿をはっきりと⾒ることができる保証はありません。マチュピチュはアマゾン川の源流が流れる場所、ジャングルの中にあり、たとえ乾季でも⾬が降ることももちろんあります。
雨季じゃなくても、霧がでるとこんな状態に
霧が晴れるのを、じっくり待ちましょう
「じゃあ、どうすればマチュピチュの姿をちゃんと⾒ることができるの?」と思われる⽅もいるでしょう。
マチュピチュに⾏く時に⼤事なことはマチュピチュ遺跡にできるだけ⻑く滞在すること。
はっきり⾔って、3〜4 時間くらい待っても、運が悪ければ霧や雲で⾒えないことは多々あります。そもそも遺跡やそこに広がる景⾊をちゃんと観光して帰るなら、3〜4 時間では⾜りません。
⾒るべきところをじっくり、憧れの⾵景をちゃんと⾒たいのであれば、丸⼀⽇滞在することをオススメしています。
時期の話に戻りますが、本当にお勧めは6⽉の冬⾄です(⽇本では夏⾄の⽇でも、南半球では冬⾄にあたります)。
インカ⽂化では冬⾄はお正⽉みたいなもの。
その⽇から太陽の日照時間が⻑くなり、⼈々は種を植える計画などを⽴てていきました。
ペルーにある多くの遺跡の作られた向きなどは、冬⾄に由来して作られています。
そんな背景を実際に⽬で確認できる時期が6⽉。
冬至の日はペルーでは特別な⽇。
「インティライミ」(太陽の祭り)がインカ帝国の⾸都だったクスコなど国内各地で⾏われます。
ただし、冬至の⽇に合わせて旅⾏に⾏くことはなかなか難しいかもしれません。
でも、ご安⼼ください。実はお祭りの当⽇でなくても、その雰囲気を感じることができます。
冬⾄の前はお祭りの練習が⾏われていて、観光客の前で現地の⼈たちが⺠族⾐装を着て踊っています。練習だからと⾔って侮ってはいけません。練習でもその様⼦は本番さながらです。
上記の理由から、ペルーに⾏くのは6⽉が⼀番オススメです。
今長谷
空港からリマの中⼼部まではかなり距離があるので、私たちは空港の前にあるホテルに必ず泊まるようにします。中⼼部にホテルを取った場合は移動が⼤変です。
この⽅がベテラン現地ガイド、フェリペ⽒。私の古い友人で、マチュピチュ・ペルーツアーを企画する時は必ず彼がガイドとして同行してくれます。
表⾯的な観光情報だけではなく、フェリペ⽒の⾒解なども含めた深い話をしてくれます。
世界で唯⼀、⽇本語、英語、スペイン語、インカの⾔葉の「ケチュア語」を話せるという「現地ガイドはこの⼈しかいない」と思える⼈です。ペルーのガイドは誰でも良いというわけにはいきません。
ちなみに⼤阪に住んでいた経験があり、関⻄弁も話せるので、頼めばペルーで関⻄弁という不思議な感覚も楽しませてくれます。※インカの⾔葉「ケチュア語」とスペイン語は今も現地で使われている⾔語です。
インカにタイムスリップ
マチュピチュ遺跡とインカ古道
15世紀、南米大陸の大部分をおさめたインカ帝国という⼀⼤帝国がありました。
インカ帝国の建築技術は⾼く、⽯造りの建物は長年の風に耐え、現在でも残っています。有名なマチュピチュ遺跡もその一つですが、私がさらにロマンを感じるのは森の中にありました。
今では遺跡となった当時の街と街を結んだ⽯造りの道。
インカ古道が南⽶にはり巡らされていました。
森を歩けば忘れ去られたインカ古道が、今でも奥へ奥へとつながっている事実を知ることができます。
森の植物に覆われて溶け込むようになったインカ古道。
もうそこは何百年も誰一人歩いていない道。時のロマンを感じないわけがありません。
いざ!マチュピチュ遺跡へ
最高の展望台から遺跡を見たい!
ただ、クスコから聖なる⾕を越え、列⾞に乗り、更にバスでマチュピチュ遺跡まで⾏く場合、乗り換え時間を抜いても⽚道 4時間です。往復約8時間もかけて移動することになり、マチュピチュでは3時間程度しか観光できません。
これでは全く足りませんし、たまたま雲がかかっているとあの風景を見る事が出来ないかもしれません。
ということで、我々はマチュピチュ村に宿泊します。
道は険しく、揺れるバスの中から⽊の⽣い茂る⼭々の景⾊を眺めている。
「こんな⼭の中に、崖の上に⼈々は住んでいたのか」
今の⾃分の⽣活からは想像がつかない光景を想像しながら、窓の外を眺めていた。
遺跡の⼊⼝に到着し、中に⾜を踏み⼊れる。⽬の前には沢⼭の⽯組みの都市が姿を現した。
「標⾼ 2,400m を超える⼭、こんな絶壁に囲まれた場所に、どうやってこの⽯組みを作ったのか」
ペルーに来てからは、昔の⼈々の知恵や技術に感⼼するばかりだ。現代のように機械や道具はなかったはず。滑らかに曲線を描いた⽯や隙間なく積み上げられてできた建物。それらは⽬の前に確かに存在している。昔の⼈が⽣み出した技術と知恵がそこに存在する。
まずは神殿、⽇時計、南⼗字星をかたどった⽯などの遺跡観光から始まり、一つ一つの遺跡の意味、役割などを学ぶ。
⺠家、神殿、畑の区画など、全ての⽯組みでできた建物は意味がある。
「どんな⼈が、どんな⽣活をし、そこで何が⾏われていたのか」
想像するだけで、何かが熱いものが込上げてくるのを感じる、そんな空気がここには存在する。
かなり遠い場所から運ばれてきているという水。不思議です。ここは高い山のしかも稜線の上。どうやってこの水はここに流れているのか。
マチュピチュの不思議であり、髙い建築技術を証明しているようです。
マチュピチュのシンボル「ワイナピチュ山」へ
⼀つ⼀つ中を⾒てまわった後は、今度は全体を⾒てみたいと思い始めた。
マチュピチュ遺跡を見おろすように立つ山。それが標⾼ 2,700m にある⼭「ワイナピチュ」。マチュピチュの写真には必ず登場するこの山こそマチュピチュのシンボルと言えるだろう。
私はその頂まで登っていく。
日本からここまで来た時間を考えたら、標⾼差 250m、約2時間から3時間の登⼭で、マチュピチュ遺跡を上から⾒渡せる絶景が待っているのだから見ないという選択肢はない!
ただ、⼀⽇ 400 名までしか⼊れませんから早めの事前予約が必須です。
ワイナピチュへ登る途中は少し急な⼭登りや遺跡の⽯段登りもありますが、遺跡の中からは分からなかった全体の景⾊を⼀望できます。
本当に不思議です。
遺跡の中、山の上、森の古道とマチュピチュは不思議の連続です。
「すごい、⼈類はこんな山の上に古代の都市を作ったんだ」
遺跡の中では感じられなかった、この都市全体の様⼦。そして、⼭の⼀部に溶け込む神秘的な姿。「天空の城」と言われる理由はここに立たないと分からないと思った。達成感と⾼揚感が混ざり合うこの感動は、⾔葉では表現しようがなかった。
コンドルもピューマと同じようにインカでは神聖な動物として崇められていました。
遺跡を俯瞰して、古代インカの人々のコンドルへの信仰の心を感じます。
絶景の穴場「マチュピチュ⼭」
マチュピチュ遺跡の反対側にそびえるマチュピチュ⼭にも登ることもできます。
こちらの山からも遺跡を上から眺めることができます(こちらも定員400名)。
ワイナピチュ山の⽅が⼈気はありますが、私はむしろマチュピチュ山の方が好きですね。
なぜなら、マチュピチュ⼭からは遺跡&ワイナピチュをセットで拝む事が出来るからです。
ワイナピチュ山の頂上からワイナピチュは見えないでよね・・足の下です 笑
標高3400m!インカ帝国の首都だったクスコ
⽯組みの技術と歴史に感⼼する
このクスコの街には様々な遺跡が存在します。
「コリカンチャ」という元々インカ帝国の神殿がありました。
その神殿はスペインに征服された時に⼟台部分だけを残し、その上に「サント・ドミンゴ教会」が建てられました。
今でも⼟台部分のコリカンチャではインカ⼈の建築技術の⾼さ(⽯組み)を⾒ることができます。
時代的には後に作られたサント・ドミンゴ教会と建築技術の差は歴然と差があり、教会は今や引き立て役にさえ感じるほどです。
⽯の窓の下枠がその先の窓の下枠の⾼さとぴったり合っています。
また、積み重ねられた⽯は隙間なくピタッと合わさり、⾮常に緻密に作られていることが⾒て分かります。それぞれの⽯と⽯の隙間を埋めるように、様々な形に⽯を削り、合わせていることに驚きです。そんな技術があの時代に存在していたことが信じられません。
コリカンチャの中には⽇本でいう神棚がありました。⽯壁に太陽の光が差し込み、その影の形や⽅向でインカ⼈は暦を決めていました。昔の⼈の知恵と知識に感⼼する瞬間です。
コリカンチャの建築技術の⾼さは、外から⾒ても⼀⽬瞭然です。⼟台のコリカンチャの壁とサント・ドミンゴ教会の壁、⾒⽐べれば精度の⾼さが全然違います。実は元々は⻩⾦の建物だったそうですが、征服したスペイン⼈が気を剥ぎ取って本国に持って帰ってしまったとのこと。
昔の姿が⾒られないことを⾮常に残念に思います。
クスコの街を歩いていてもインカ帝国の栄華は残っています。街の通りを歩き、ふと壁を⾒ると「これ、インカの⽯組みなんだ」ということがあります。
⽯と⽯の隙間を埋める、クスコの 12 ⾓の⽯。
カミソリ⼀枚すら通さない隙間。
⼤きさは1m 以上はあります。
ピューマの⽯。
⽯組みでピューマを表現しています。ピューマは南⽶の⽣態系のトップ。⼈々に崇められている動物で、インカ時代でも神聖な存在でした。
ピューマの形・・・分かりますか?
ます。⾚やピンク、⻘や緑などカラフルな⺠族⾐装には様々な模様が⼊り、頭に帽⼦をかぶったり、⾸に装飾品を⾝につけたりと⾐装だけでも⾒応えがあります。
市場「san pedro」
実は南⽶から⽇本に⼊ってきた⾷べ物があります。その⾷べ物の原型(オリジナル)を⾒ることができる市場です。
例えば、ペルーはジャガイモやコーンの原産地で、市場に⾏くと⽇本で⾒るジャガイモの形とは違った、原産のジャガイモの姿をみることができます。インカ⼈はジャガイモやコーンを研究して、品種改良を繰り返していました。
市場の中は先住民でいっぱいなので無闇に撮影はできませんが、市場には様々な⾊と⼤きさのジャガイモやコーンが並んでいて⾯⽩いです。
クスコの郊外に巨⼤な⽯組みが特徴のサクサイワマン遺跡があります。ここにある⽯組みは⾮常に⼤きく、⼤阪城の城壁に巨⼤な⽯が使われていることもあり、⽇本⼈の間では⼤阪城の⽯の⼤きさと⽐べられることがあります。
サクサイワマンは「雷」という意味で、上空から⾒下ろすと雷マークのような形をしているのが分かります。クスコを⾒下ろすことができる丘の上にあるので、「城塞の後ではないか?」と⾔われています。
この景⾊を⾒ていると「ペルーに来たなぁ」と感じます。
今長谷
クスコは郊外のウルバンバに泊まることがオススメです。標⾼が 2800m とクスコより低めなので、⾼⼭病にかかるリスクが減ります。⾼⼭病の予防策はいくつもありますが、宿泊地の標高は特に重要です。寝ている間に高山病は進行しやすく、少しでも標高が低い場所に宿泊する理由がそこにあります。
聖なる谷でペルーの⽣活を体感
農業の品種改良していたと⾔われている遺跡「モライ遺跡」。
ペルーの熱帯のジャングルの中で作られていたジャガイモやトウモロコシを標⾼の⾼い寒冷な場所でも同じように作るためには⼯夫が必要でした。
そこで今は遺跡として残るこの施設が誕⽣しました。
寒冷な場所でも⽣きていけるトウモロコシやジャガイモの品種改良をしていく実験的な場所でした。
モライ遺跡はミステリーサークルのような円形をしていて、中央から外側に段々畑のように輪が広がっています。中央の⼀番低いところで最初に栽培して、年ごとに芽が出たものを上の段に順にあげて栽培(品種改良)していく。そのプロセスを繰り返すことで、標⾼が⾼く寒冷な場所でも⽣き残るものを作っていました。そんな昔の⼈の知恵と技術の痕跡を、ここでは⾒ることができます。
標⾼ 5682m の「聖なる涙 ヴェロニカ⼭」や氷河の絶景を⾒ながらのハイキングで、ヤギや⽺などを連れた⽺飼いとすれちがい、乾いた穀物の匂いを感じ、吹く⾵は少し冷たく、太陽が眩しく照らす。
そんなアンデスの空気と⽣活を肌で感じるハイキングです。
ちなみに無闇に現地の⼈の写真を撮るのはオススメしません。お⾦を請求されてしまうからです。
放し飼いのロバなどの動物の写真は撮っても⼤丈夫です。彼らは請求しませんから。
2時間ほどのハイキングのゴールはモライ村。
スペイン統治下時代のコロニアル様式の⾨が各⺠家の⾨として並んでいて、ユネスコの保護を受けている村です。
中に無数の真っ⽩な段々畑が広がっている光景に出会えます。まるでそこだけ雪が積もっているようにも⾒えるマラスの塩⽥。その塩は、実は⽇本でも売られています。
もし⾒つけたら、試してみてください。
想像ができないほどの長い時間、ここは塩を作る場所であり、そして今も目の前で地元のインディオが作業をしていました。今も生活を支え続ける遺跡です。
実際の農家に⼊れてもらい、生活の様子を見せてくれます。
農家で作ったお酒のチチャ酒を頂きます。
トウモロコシを発酵させて作った地酒(ドブロク)で、畑仕事をしながら飲むものなので、アルコール度数は⾮常に低いです。
⻩⾊はオリジナルのもので、ちょっと酸っぱい。⾚はストロベリーを⼊れたもので⽢くて美味しいです。
農家の裏を覗くとハムスターがたくさん飼われている部屋がありました。
実はハムスターはペルーでは⾷⽤で、屋台に⾏けばハムスターの丸焼きもあります。ちょっとショックですが⽂化の違いを感じる瞬間でもあります。
今長谷
味はというとマズくはけっしてないんですが、見た目が勝ってしまいます。写真は衝撃的なので辞めておきますね。
興味がある⽅は現地でトライしてみてください。
スペイン⼈とインカ⼈の凄まじい戦いがあった場所で、⽇本でいうある意味で関ヶ原のような位置づけのような天下分け目の大きな戦いだったようです。
今しか⾒られないかもしれない世界遺産「ナスカの地上絵」
ナスカの地上絵、一度は耳にしたことがあるこの言葉。
ナスカというのは地名なんですが、紀元後から600年くらいまで栄えたナスカ文化を築いた古代のインカ人が描いたという説があります。飛行機など何もない時代ですよ!いやぁ、謎です。
⾞でリマから⽚道4時間から5時間かけて遊覧飛行の空港のある海辺の街「パラカス」へ移動。
この街から遊覧⾶⾏に飛び立ちます。
気象の状況でセスナが⾶ぶまでに2時間、3時間待たされるのは当たり前ですね。
そこは南米というか・・・いらいらしても何も解決になりませんから、のんびりと空港の待合室や外の空気を吸ってその時を待ちます。
ここで何時に飛ぶ?の質問は無意味です。
今長谷
オススメは朝のフライトを予約して、前日のうちにパラカスに入って朝一には空港でスタンバイですね。遊覧フライトは2時間少々ですが、いつ⾶⾏ができるかは分かりませんし、予約していても、その日は時間切れも珍しくないと言ってましたから、日程ギチギチのリマから⽇帰りは⾮常に厳しいですね。
いよいよ順番が呼ばれて、一般の国内線並みに手荷物検査、搭乗待合室・・そしてセスナ機へ。
ふわっと飛び立てばプラカスの街と海、郊外の砂漠が広がります。
やがて山の上を越えて、少し眠気を感じはじめたころにナスカの上空に到達します。
遊覧⾶⾏中はパイロットがどこに地上絵があるか教えてくれ、右の窓側に座っている⼈にも、左の窓側に座っている⼈にも⾒られるように何度も旋回して⾒せてくれます・・逆にこのサービスが飛行機酔いを誘発するおそれもあり?
宇宙⼈と言われる絵まであります。
上空での飛行時間は20~30分程度でしょうか。
ある程度イマジネーションを持って見ないとどれが地上絵なのか分からないかもしれないです。
遊覧⾶⾏が昼間だと影が薄くなるので⾁眼で確認しづらい可能性があります。
⼀番良いのは朝⽅や⼣⽅がベスト。ただし、予約していても実際に飛ぶ時間はお任せです。
諸説ありますが・・・まだまだミステリーに満ちた遺跡ですね。
本当に不思議な光景を目に焼き付けて、往路をパラカスの空港へ戻りました。
轍(わだち)が浅く、そこに地上絵があるという発⾒が遅かったため、国道で地上絵が⼨断されていたりします。
⾮常に貴重なものなのに残念だとつくづく感じます。
「いつかは消えてしまうのか」と思うと⾮常に尊く感じ、今のうちにこの⽬で⾒られたことを嬉しく思います。
※ちなみに地上の展望台から地上絵を見る事は出来ますが、見ごたえは・・・厳しいです。轍(わだち)の深さ(浅さ)は分かりますね。
ツアーガイドメモ
3400m と標⾼が⾼いので、⾼⼭病にかかるリスクがあるからです。ちなみに富⼠⼭は 3776m。
⾝体を徐々に慣らしていくことがコツで、標⾼の⾼い場所に着いてすぐの宿泊はオススメしません。吐き気、頭痛の旅になってしまいます。
⾼⼭病のことを考えて、標高を落とした郊外に泊まるようにしています。
また、宿泊だけではなく、クスコの街歩きの時も注意が必要です。
⾛らない、お酒を飲まない、タバコを吸わない、深く呼吸を⼼がけるなど、⾼⼭病にかからないための⼼がけが必要です。
ローソクを消すような腹式呼吸を⼼がけてください。
ナスカの地上絵の遊覧⾶⾏の前に酔い⽌めを飲む場合は、空港に着いた後、フライト時間が決まってから飲んでください。実際にセスナが⾶ぶのは着いてから随分先になる場合があります。
現地の⼈を無闇に写真に収めるとお⾦を請求されてしまうので気をつけましょう。
また、クスコでは⾞の通りに気をつけてください。
狭い通りにかなりのスピードを出してすぐ脇を車が走っています。
マチュピチュ村のオススメホテルと現地の⼣⾷
このホテルは実は私がいつもお願いするガイドのフェリペ⽒が経営しているホテルです。
マチュピチュの一般のホテルは壁が薄く、シャワーしかなく、エレベーターもほとんどありません。フェリペ⽒のホテルは壁が厚く、バスタブもあり、エレベーターが設置されています。
朝⾷は屋上のレストランのテラスで頂きます。
マチュピチュの村を⾒渡しながらの朝食を頂けます。
夜はすごく賑やかで⼀本のメインストリートにはお⼟産屋さんやレストランが所狭しと並んでいます。
今長谷
マチュピチュ村にある「インディオ・フェリッツ」というレストランは、ペルーのレストラングランプリで1位になったレストランです。パスタ、⾁の串焼きなどの料理がテーブルに乗りきれないくらい沢⼭出てきます。
味はもちろん、まさに折り紙つきです。
とにかく大⼈気なので予約は必須です。
ペルーQ&A
パスポート | 残存有効期間が入国時6ヵ月以上必要。 旅券の未使用査証欄は入国時5ページ以上必要です。 |
ビザ(査証) | 183日以内の観光目的の滞在ならビザは不要です |
公用語 | スペイン語、ケチュア語。 全国的な公用語はスペイン語ですが、山岳地域は先住民の言語であるケチュア語が多く用いられています。 |
電圧・コンセント | 220ボルト、60ヘルツ。 プラグは平2つ穴のAタイプと丸2つ穴のCタイプが主流です。 |
貨幣 | 単位はソル (sol、略号はS/.複数形はソーレス)と センチモ(centimo) 紙幣は200、100、50、20、10ソーレスの5種。コインは5、2、1ソルと50、20、10センチモ。 1ソル=100センチモ 1ソル=約33円 (2019年4月現在) |
水 | 水道水を飲む事はできません。 ミネラルウォーターの購入をお勧めします。コンガス(ConGas)と呼ばれる炭酸入りのものとシンガス(SinGas)と呼ばれる炭酸無しがあります。 |
チップ | チップの習慣はあります。食事の際はサービス料が含まれていても5~10%程度を残していくことをお勧めします。 ホテルや空港などで荷物を運んでもらった場合などもチップを渡したほうが良いでしょう。 アメリカドルでも払うことができます。その場合は1ドル程度でよいと思われます。その他にも、親切にしてもらった場合などは気持ち程度を渡せばよいでしょう。 |
治安 | 以前は治安の悪い地域もありましたが、かなり改善されました。ただし、クスコやリマなどの観光地や駅、空港など人の多いところではスリや置き引きに注意が必要です。 夜間の一人歩きは禁物です。 |
高山病 | 観光地のクスコなどは標高が高いので体質や体調により高山病になることがあります。お水を飲む、ゆっくり歩く、深く呼吸をする、うたた寝をしないなど心がけることをおススメします。また、飛行機などで一気に標高を上げた直後に日程を詰めた観光や宿泊は避けた方が無難です。いずれにしても高山病の初期症状は頭痛が殆どですから日本から鎮痛薬(頭痛薬)をお持ちになるようご準備ください。 重篤化したら危険ですので、その場合は速やかに日程を変更してでも高度が低い場所へ移動することを心がけ下さい。 |
気候 | ペルーは山岳地帯、海岸地帯ともに年間を通じて寒暖の変化が大きい気候です。 クスコやマチュピチュがある山岳地帯(シェラ)は3月下旬~11月が乾季にあたり、観光にはベストシーズンとなります。日中は暑いくらいでも日が落ちると急に冷え込みます。季節によっては20℃以上の気温差がある場合もあります。 逆に首都リマをはじめ、海岸地帯(コスタ)の年間平均気温は20℃前後で、山岳地帯とは逆に10月~4月が乾季となり、ほとんど雨が降らず好天が続きます。 6月の 平均最高気温 / 平均最低気温 クスコ 19.5℃ / 0.3℃ リマ 19.7℃ / 15.3℃ 11月の 平均最高気温 / 平均最低気温 クスコ 20.7℃ / 6.1℃ リマ 21.9℃ / 15.2℃ |
食事 | 基本的には西洋料理です。 スープやサラダなどの前菜に肉や魚のメインが出てきます。おいしくいただけますが、脂っこい食事が続きますので苦手な方は日本から好みの物を少しご用意されるとよいでしょう。 食後のコーヒー、紅茶も含まれない場合がございます。コーヒーはエッセンスと呼ばれる非常に濃いものが用意される場合が多いですので、お好みによりお湯やホットミルクなどで調整することをおススメします。 高山予防に観光客用のレストランでもコカの葉そのものやティーパックになったお茶もよく準備されています。くれぐれもペルーから持ち出さないようにお気を付けください。 |
時差 | 日本より14時間遅れです。 サマータイム実施されていません。 |
持っていくものリスト ペルーに行く準備
パスポート、航空券、お金、靴(スニーカー)、めがね・コンタクトレンズ、帽子、傘(折り畳み傘)、腕時計、スーツケース、ショルダーバッグ(リュックサック)、携帯電話(スマートフォン)、コンセントプラグ、上着、長袖シャツ、半袖シャツ、ズボン(スカート)、下着、靴下、タオル、常用薬、風邪薬や頭痛薬・胃腸薬などのお薬、カットバン、洗面用具(歯ブラシやヘアブラシなど)、化粧品(日焼け止め 男性なら髭剃り)、ハンドタオル(ハンカチ)、ティッシュ、筆記用具、カメラ、カメラの充電器、液体物機内持ち込み用ビニール袋、パスポートコピー、石鹸やシャンプー、ビニール袋
ペルーハイキングの旅で私が追加で持っていくもの
雨具(ゴアテックス素材などで上下別のセパレートタイプ 防風効果もある)、厚めの靴下、リュックサック(25~40リットル)、フリースやセーターなどの防寒具、暖かい帽子、暖かい手袋、ヘッドランプ(停電対策)、スリッパ(備え付けがないホテルが殆ど)、簡単な非常食(カップラーメンなど お箸)、サングラス(紫外線が強い)、リップクリーム、トイレットペーパー(備え付けがない場合もある)、蚊取りスプレー(ガス式ではないもの:ガス式は飛行機に持ち込みが一切できません)、多めの鎮痛剤(頭痛薬)、ストック、水着(マチュピチュ村には温泉有り)
スポーツバッグ(スペースの関係でマチュピチュへ向かう列車にスーツケースを持ち込むのは難しいです。スーツケースは列車を使う前のホテルに預けてマチュピチュへ向かいます)
今長谷
いかがでしたか?
一度は行きたいと多くの方が言われるペルーの旅でした。
せっかくほぼ地球の裏側まで行くのですから、後悔しない計画と準備が必要です。絶対に駆け足の旅にすることは避けるべきなのが南米の旅。南米では人々の時間がゆっくり流れ、計画通りに物事は進みませんし、天候にも左右されがちな面も多々あります。高山病も心配です。それでも行く価値十分のペルーの旅をお楽しみください。