ネパールの歴史を紐解く|産業や貧困問題などネパールを取り巻く状況
ネイチャーガイド今長谷
ネイチャーガイドの今長谷です!
ネパールは多くの観光客が訪れる国として有名ですが、今のネパールになるまでには長い時間がかかりました。
歴史はとても深く、大きく国が変わった時期がいくつもあります。
観光客のなかには、ネパールの歴史に触れるために訪れる人もいるのではないでしょうか。
そこで今回は、ネパールの歴史について解説します。
より深くネパールについて知り、新しい観点でネパール観光を楽しんでください。
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ネパールはどんな国?
公用語はネパール語とされていますが、様々な民族が暮らしているため、多くの民族の言語が入り混じっています。
また、宗教についてもひとつではなく、ヒンドゥー教・仏教・イスラム教がネパールで信仰される主な宗教です。
世界最高峰のエベレストがあることから観光客の多い国ではあるものの、国土の8割が丘陵・山岳地帯であることから、暮らしが厳しく貧しい国の一つでもあります。
ネパール国名の歴史
ネパールは、現在の「ネパール」という国名が定着するまでに、数回にわたって正式国名を変えています。
- ~2006年8月22日…ネパール王国
- 2006年8月22日~2008年8月4日…ネパール
- 2008年8月4日~2020年12月14日…ネパール連邦民主共和国
- 2020年12月14日~…ネパール
ただし、2020年の国名変更からも期間がそれほど経過していないため、今後も国名が変わる可能性はあります。
リッチャヴィ朝~現在まで。ネパールの歴史
そこで今回は、主要な時期について簡単に解説していきます。
リッチャヴィ朝以前のネパール
ドゥマカール遺跡で発見された木具を測定した結果、紀元前2万7,400年頃のものと推定されているのです。
そのほかにも、いたるところで旧石器時代の遺物が発見されています。
また、伝説によるとカトマンズ盆地は太古の湖だったそうで、文殊菩薩が湖を切り裂いて人が住めるようにしたといわれています。
紀元前6世紀頃は、現在ネパール領のカピラヴァストゥ共和国の統治者の子として釈迦が誕生。
ネパールの歴史を大きく変えた時期です。
リッチャヴィ朝時代のネパール
さらに、パンチャーヤト制やグティの原型となる住民組織の保護や育成もおこなわれます。
商業についてもこの時期に発展し、都市経営の基盤が固められました。
中世時代のネパール
最初に確立されたのは、14世紀末のマッラ朝。
次に1450年頃、バクタブル王国からカトマンズ王国が独立します。
最終的に、マッラ朝・パタン王国・カトマンズ王国の三王国となったのです。
ゴルカ朝前期のネパール
マッラ王朝が力を失ったことでゴルカ王国の勢力が拡大し、1768年から1769年にかけてゴルカ王国によってマッラ王朝は滅ぼされてしまいます。
そして350の小王国に分かれていたネパールが統一され、ゴルカ朝がネパール王国を作ります。
しかし、その後、1790年~1791年の清・ネパール戦争、1814年~1816年のグルカ戦争など、争いは続いてしまいました。
ラナ家支配時代
1846年~1949年は、ジャンガ・バハドゥル・ラナが宰相となったらラナ家支配時代と呼ばれています。
この時期は、世界中で戦争が絶えない時期でした。
各戦争事のネパールの動きは、以下のとおりです。
- 1857年~1859年…セポイの乱で英軍を援助
- 1914年~1918年…第一次世界大戦に参戦
- 1910年代…ワジリスタン戦争で英軍を援助
- 1919年…英・アフガン戦争で英軍を援助
- 1939年…連合国として第二次世界大戦に参戦
王政復古
1955年にはマヘンドラ国王が即位し、翌年の1956年には日本との外交関係も樹立。
1959年に初の総選挙を行うも、1960年にはクーデターによって議会を解散、政治活動も禁止されてしまい、全閣僚が逮捕されてしまいました。
民主化時代~王制廃止以降
1990年からの民主化時代に突入してからは、各年で大きな変化が起こっているので、主な変化を以下の表にまとめました。
1990年 | ・バンチャーヤト制の廃止 |
1991年 | ・ギリジャー・プラサード・コイララが首相になる |
2001年 | ・ギャネンドラ国王が王位につく |
2002年 | ・チャンダを首相に任命 |
2004年 | ・デウバを首相に任命 |
2006年 | ・コイララ政権が発足
・政府とマオイスト、無期限停戦を誓う「包括和平協定」に調印 |
2007年 | ・正式に王制が廃止
・ネパール王国(ゴルカ朝)の終焉 |
2008年 | ・初の大統領選挙
・初代大統領にラーム・バラン・ヤーダブが選出 ・首相に毛沢東派・プラチャンダ選出 |
2009年 | ・プラチャンダが首相辞任
・マーダブ・クマール・ネパールが首相に選出 |
2010年 | ・マーダブ・クマール・ネパールが辞任を表明 |
2011年 | ・バーブラーム・バッタライが首相職に指名 |
2014年 | ・新政権発足
・首相はスシル・コイララ |
2015年 | ・首都カトマンズにてマグニチュード7.8の地震発生 |
ネパールの貧困率の歴史
ネパールへ経済的に厳しく、後発発展途上国に位置付けられています。
しかし、少しずつネパールの貧困率は改善されているようです。
貧困率の推移について見てみましょう。
- 1995年/96年度…貧困率8%
- 2003年/04年度…貧困率8%
- 2010年/11年度…貧困率2%
- 2019年…貧困率6%
上記のように、ネパールの貧困率は改善されていますが、今でも格差はあるそうです。
ネパール貧困の歴史を語る上で欠かせないカースト制度
ネパールの貧困の歴史について触れておかなければいけないのが、カースト制度です。
カースト制度とは、ヒンドゥー教の文化や信仰に根ざした社会的な階層制度を指します。
カースト制度では、主に以下のように分けられてしまうのです。
- バフン…僧侶・学者
- チェトリ…王族・戦士
- チベット・ビルマ語系の民族…平民
- パニ・ナチャルネ…労働者・下層階級
さらに「ダリッド」や「ハリジャン」と呼ばれるカーストも存在しており、社会的な差別を受けています。
また、一部地域では「カマイヤ」と呼ばれる「奴隷労働者」もいるといわれています。
2000年代以降は甚現侵害であるとされて制度自体の撤廃が進められていますが、現在でも課題や困難が残っている地域もあるそうです。
ネパールの歴史を感じながら観光をすると一味も二味も変わる
しかし、ブッダの生誕はネパールの歴史を語るなか、ほんの一握りでしかありません。
宗教信仰も厚い国なので神々に関して伝えられている歴史も多くありますが、それらはあくまで伝説として伝えられている歴史に過ぎません。
実際に記録がしっかり残っているネパールの歴史では、紛争が多かったり国の体制が変わったり、比較的不安定な歴史と言えます。
また、過去の紛争や災害、制度の影響で、現在も貧困のなか暮らす人も多くいます。
カトマンズのような観光客の多い都市部ではあまり貧困を感じられないかもしれませんが、貧困に悩まされている人々がいるのも事実です。
このような歴史や背景を知りながらネパール観光をしてみると、新たな感覚や感謝の気持ちが生まれます。
ぜひ、ネパールへ行く際には、今回の記事を少し思い出しながら観光してみてください。